“テロワール”が見える日本酒を造る酒蔵 高知・嶺北[土佐酒造]松本宗己さん

2024.10.31

四国の真ん中に位置する高知県・嶺北(れいほく)地域。標高約200〜1,800mの山々には日本一の清流・吉野川の源流が流れている。この地域には山岳地形を生かした棚田が数多くあり、豊かな自然と寒暖差が激しい気候で育った米は絶品で、二度も日本一に輝いた。そんな米所でさらにこだわって酒米を作り始めたのが、地域唯一の酒蔵「土佐酒造」だ。




10月上旬。気温が最も低い時間帯に嶺北の澄んだ空気を使って酒米を蒸すと聞いて、まだ空が薄暗い早朝に酒蔵を訪れた。案内してくれたのは6代目の松本宗己さん。創業から148年、土佐酒造の歴史は古いが、「地域で栽培した酒米」にこだわり始めたのは松本さんからだという。




この地域で生まれた松本さんは幼い頃から自然の中で遊び育った。叔祖父である先代が酒を作っている酒蔵は、かくれんぼをするような身近な場所だった。しかし、小学生の時からロボットに携わる仕事をしたいという夢があり、酒蔵を継ぐのではなく東京工業大学へ進学して、ソフトウェア事業で起業した。

この時点で土佐酒造の後継者はおらず、先代は廃業を考えていたのではないか、と松本さんは振り返る。



当時、松本さん自身はあまりお酒は呑まなかったが、通っていたお店のソムリエの熱心な説明によりお酒の楽しみ方を知り、なんと日本酒ではなくワインに魅了されていく。勉強会に参加するほどワイン好きになった松本さんがまず感銘を受けたのが、世界中から日本へワインの売り込みに来ている人の多さ。彼らが特にアピールするのは「コピーできないもの」で、土地の個性や風土=テロワールを武器に自分のワインを売り込む姿は、松本さんに衝撃を与えた。日本酒こそ、テロワールを以って海外へ売り込むことができれば面白いのでは?そんなことを考えながら、故郷の棚田の風景を思い出した。




後継がいない土佐酒造を憂う声は、松本さんの耳にも届いていた。土佐酒造の日本酒を呑むお祭りは、酒蔵が無くなればどうなってしまうだろうか。同時に、故郷へ帰る度に人口減少のニュースが飛び込んでくる。酒蔵のある嶺北・土佐町の人口は1980年の約6,600人から2020年には約3,700人へと減ってしまった。

転機が訪れたのはワイン仲間の齋藤さんと食事をしている時。「ワインが畑にこだわるように、田んぼにこだわった日本酒を知らないか」と尋ねられた。その場では答えられず家に帰って調べると当時、国内の酒蔵の数は1400軒。その内、田んぼにこだわっているような説明をしている酒蔵は10軒にも満たなかった。

1%もやっていないことに取り組むのは面白いのではないか。嶺北地域の米にこだわったテロワールのある日本酒を作る。そのテロワールとともに土佐酒造を世界へアピールする。そうして酒蔵を続けることが地域のためになる。ここまで考えて、松本さんが酒蔵を継がない理由はなかった。齋藤さんと話したその日のうちに先代に電話をかけて、酒蔵を継がせてほしいと頼み込んだ。

突然の申し出に、先代は少し考えてから「嬉しい」と言ってくれた。




嶺北地域のストーリーが見える日本酒を作る


米所の嶺北で松本さんが何よりこだわったのは、原料である「酒米」。化学肥料を使わず農薬も最小限で育てる酒米を作ってほしいと、腕のある農家を訪ねて隣町へお願いに行くことから始まった。有機栽培で酒米を作っている山下さんの紹介で、いい米を作る人にも出会えた。雨風が強く台風も多い高知県の気候でも育ちやすいように生み出された酒造好適米『吟の夢』を地域に取り入れ、現在では60以上の農家が土佐酒造の酒米を生産している。嶺北地域に住む人から聞くには、土佐酒造の酒が出てくれば「俺が作った米でできたお酒だ」と胸を張る農家さんも居るそうだ。




こうして作ったテロワールのある日本酒を世界へ売り込み、2016年には世界規模の品評会「International Wine Challenge」でトロフィーを受賞。現在、土佐酒造の日本酒は海外46ヶ所で展開されている。




「目の前の人がニコッとしてくれると嬉しいでしょう」と松本さんは取材中に何度も繰り返した。土佐酒造の6代目となるまで多くの出会いがあり、その度に松本さんは目の前の人に喜んでもらうために行動した。田んぼにこだわっている酒蔵を調べた時はワイン仲間の齋藤さんに、土佐酒造を継ぐことを決めた時は先代と地域の人に、酒米の栽培にこだわった時は農家さんと土佐酒造のお酒を呑むお客さんに、喜んでほしい。

松本さんの「目の前の人を喜ばせたい」という想いが、今では地域に、そして世界へ広がっている。



「うちは一つの酒蔵に過ぎないけれど、我々がどんなお米を求めるかで地域の農業の未来も変わってきます。100年先まで続く農業が残っていてほしい。そして自分が見られなくなった遠い未来でも、この地域でニコッとする人が存在していてほしい」。そんな想いで、今日も土佐酒造は地域とともに日本酒を作っている。

取材・文・写真:上総 毬椰

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