小豆島唯一の酒蔵「小豆島酒造」が女性目線で造る個性豊かな地酒

2024.11.12

「ふふふ」、「うとうと」など愛らしいネーミングとラベルの日本酒が印象的な小豆島酒造。小豆島産オリーブの酵母を使った酒造りに取り組むなど、業界では新しい酒造りに次々と挑戦していく。今回は小豆島酒造を営む池田亜紀さんにお話を聞いた。




発酵の島、小豆島


小豆島酒造責任者の池田亜紀さん

小豆島酒造は香川県の小豆島で400年以上、醤油造りが営まれてきた醤の郷と呼ばれる地域で元佃煮工場だった築70年の古民家を改装し、2005年に酒造を立ち上げた。35年ぶりに小豆島に地酒が復活したのだ。神戸と小豆島を結ぶジャンボフェリーが就航する坂手港から車で約10分の場所にある。道中に麹菌で黒くなった屋根瓦の民家や醤油工場の風景とともに風にのって、醤油の香りが一面に広がることを感じる。





醤油工場が並ぶ醤の郷の風景

醤の郷には、醤油屋だけでなく、佃煮工場も多い。醤油産業の最盛期である明治時代には、醤油工場は島内に大小約400軒あったそうだ。現在は20軒程の醤油屋が残っている。まさに発酵の島で、醤の郷には香川県立発酵食品研究所まであるのだ。小豆島酒造から見上げたところにある宮山には、醸造の神様が祀られる松尾神社が鎮座している。




小豆島酒造のショップには、2007年に升や酒瓶を照明に取り入れるなど遊び心が溢れるカフェを併設した。また、酒米と酒粕を使った米粉のコッペパンを提供するベーカリーを営むなど、もったいない精神を大事にし、新しいことを取り入れる気概に溢れている。




酒造りにおいても現在は女性の蔵人を中心にチームで取り組む、業界では珍しい体制だ。仕込みの繁忙期には力仕事が多いため、ベーカリーから男性スタッフも加わる。


「小豆島酒造は歴史もネームバリューもない。蔵も100石クラスと小さい。だから新しい酒造のあり方を試行錯誤しています。」と亜紀さん。




先代の情熱を引き継ぐ酒造り


小豆島酒造のショップ兼カフェ

小豆島酒造の前身は、香川県高松市で1872年に創業し140年の歴史があった池田酒造。4代目だった父・好輝さんの頃に、高松市内の酒造は池田酒造の1軒のみとなってしまった。高松市内で酒造りをつづけることが難しくなったため、好輝さんが廃業を決意し、改めて酒造りに最適な場所を探したところ縁があったのが小豆島だった。2005年に小豆島で開業し、島内唯一の酒造として新たなスタートを切った。当時、好輝さんは70歳だったというから、その情熱に驚く。ところが開業してまもなく、2008年に好輝さんがケガが引き金となり他界。思いがけず、娘の亜紀さんが小豆島に移住し、翌年に家業を継ぐことになった。右も左も分からなかった亜紀さんは、妹や母とともに力を合わせて、苦難を乗り越えていった。





朝9時前に伺うと、翠さんがカフェの仕込みをしているところだった

亜紀さんの母である翠さんは88歳になった今でも、カフェの厨房に立ち、看板メニューの「杜氏のまかないめし」を逞しく作りつづけている。取材後にいただいた粕汁があたたかく、しみじじみと体に沁みた。





小豆島酒造の個性がヨーロッパで注目される

「私たちが造るお酒は食中酒を目指しています。例えば、このお酒はどんな料理を合わせると美味しいかなと考える。お刺身に合うなと思えば、お刺身に合う味わいに寄せて造っていく。でも、安定したお酒を目指しているわけじゃないんです。」


小豆島酒造の酒は一般的な酒と異なり、活性炭濾過をせず、ほんのり山吹色の色がついている。タンクごとに微妙に風味が異なる酒質が特徴だ。日本では当初受け入れられなかったが、ワイン文化があるヨーロッパからは、お酒に色がついていることや小さな蔵元で手造りしていることを個性として評価され、支持されるようになった。フランスのバイヤーには「これからのトレンドは『個性』」だと言われた。


「海外向けの展示会などでお話をしていると、歴史ある小豆島の土地そのもののストーリーや、醤油など発酵食品の産業が盛んでクラフトマンシップのある島であることに注目されていることを感じます」


最近では、小豆島酒造が年に1回開催している新酒祭りについて海外から問い合わせがあり、わざわざホテルを予約して海外から来た人もいたのだとか。





小豆島酒造のボトルやラベルのデザインは、普段は本の装丁や、展覧会のアートディレクションなども手掛ける東京在住のデザイナー樋笠彰子さんによるもの

2020年には小豆島産のオリーブの実から清酒酵母No18を採取し、酒米は香川県産オオセトを使用した純米酒の原酒「オリーブの実のなるころ」をリリースすると、「小豆島酒造はこんな飲みやすい酒も造るのか」と地元からも好評を受けた。


「これまでどの酒にも、小豆島との繋がりや、観光との繋がりがあるラベル作りなどを意識してきましたが、やっと地元の皆さんからの手応えを感じるようになりました」


フルーティーな香りに、辛口のようなスッキリとした味わいがスーッと舌に広がった後、しっかりと甘みが残る酒で、食事とも合わせやすい。洋服に用いられるタグで代用したラベルが、シンプルでありながら目を惹くパッケージだ。





「うとうと」「ふわふわ」「びびび」の文字が愛らしい酒のタンクから瓶詰めする酒を注ぎ出す

2021年からは姪の七星さんも、日本酒醸造に加わった。農業大学の醸造科を出ており、化学的な視点から酒を分析し、小豆島酒造に不足していた技術面をサポートしている。その一方で、酒造りには重い容器を持ち上げたり力仕事もたくさんだ。


「体力的にきつい仕事は多いです。常に筋肉痛の状態です」と笑う七星さん。



右から池田七星さんと寺口里奈子さん

七星さんをサポートする寺口里奈子︎さんは、今年、大学卒業後に新卒入社したスタッフ。小豆島酒造に直訴し入社を決めたそうだ。「もともと日本酒を飲むのが好きで、小豆島へ旅行に行くことが決まった時に、いろいろ調べている中で小豆島酒造の存在を知り、絶対行こうと思ったんです。実際に行ってみて、スタッフに女性が多いことを見て、ここなら自分でも働けるかもしれないと思いました」



蒸した酒米を適正温度に冷ましているところ

11月から4月にかけては、酒造りの最高責任者である杜氏が兵庫県の但馬から酒造りに来る。杜氏から技術を教わり、昨年は杜氏が帰った後に自分たちだけでの酒造りも試みた。



10月から杜氏が但馬から来て一緒に酒の仕込みを始めている。仕込み時期は男性スタッフも助っ人で加わる

亜紀さんは酒造りもカフェのメニュー作りも若いスタッフの意見を積極的に取り入れる。


「酒造がどんどんなくなっていく時代なので、みんなで力を合わせてやっていくしかない。縦社会ではなく、意見を出し合って今もやっています。今後も若いスタッフたちが楽しみながら力を合わせて酒造りができるような環境作りを今進めています」





小豆島の休耕田を酒米で緑いっぱいにしたい


中山千枚田。地元住民が田んぼの保全を地道につづける一方で、高齢化や後継ぎ不足で手放された田んぼも増えてきた。2023年6月に撮影

小豆島酒造は、地元の酒米でお酒を造りたいということ、縁もゆかりもないまま移転した小豆島で地元に必要とされる蔵元になりたいという思いから、小豆島の中山間地域、中山地区の千枚田で小豆島町が運営する保全活動に10年間参加した。基本的には地元の農家が田んぼを管理してくれるが、田植えや、収穫の際には小豆島酒造のスタッフも早朝から作業に加わった。そのお米で造ったお酒が「はちはち」だ。


農地が限られる島の場合、一つの地区だけで酒米を作るのは難しいと気づき、3年前からは一度保全活動を離れて、やり方を変えることにした。現在は農林水産省の地域の社会課題解決と経済性が両立するビジネスを継続的に創出する取り組みを支援する「ローカルフードプロジェクト」に参加し、小豆島で改めて酒米「オオセト」の作付面積を増やしていこうと取り組んでいる。生産者向けの説明会を開き、今期は中山地区の他に、島内の2地区でも酒米を作ってくれる農家を見つけた。酒米の販売価格と生産者の作業代は現状見合っていない。そこで、香川県や小豆島町の助成を受け、生産者に作業代が補填されるようにした。


過疎化や高齢化によって農家が減ったことで、現在は小豆島にあった田んぼの約3割が休耕田になっている。


「『小豆島の休耕田を酒米で緑いっぱいにしよう』というのが今回の目的です。昨年はこのオオセトの普及活動によって小豆島全体のオオセトの作付面積が一昨年より2倍は増えたんです」


1年目は収穫量150kgでタンク一本分のみ。今年は2500kg以上収穫できた。


転んでもただでは起きない小豆島酒造の地道な挑戦はつづいていく。


小豆島は宝の島で、『小豆島』というブランドがあり、そこに唯一ある手造りの酒造が小豆島酒造であるというのが私のイメージで、その環境で何を造るかと常に考えています。小豆島の方々に応援していただけるようなお酒を造ろうという気持ちが根底にあります


島の田んぼが復活し、島の酒米で作った地酒が飲み継がれていく。酒造りを通して、島の風土をも耕している。そんな風に思えてしまう。行政や地元住民、島に通う助っ人たちと力を合わせてチームでつくる小豆島酒造の酒造り。島にいい風が吹いている。

取材・文・写真:坊野 美絵

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